2014.
11.
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私がそういったコミュニュティにいるからですが、
私の友人達は、100パーセントといっていいほど国際結婚。
互いにどこか似通った欧州人同士の結婚でもカルチャーの軋轢がありますが、
日本人と欧州人となると当然のことながら、いろいろな壁があります。
周りの日本人の友人の話を聞いていて思う事ですが、
欧州人は、日本の事に興味をもって、
文化的な差や、違いを認めた上(または認めない上で)家族としてうけいれる、という気がします。
これは、日本ではどうするの?とか日本では?という質問をしつつ、
自国の文化と比較しながらうけいれていく、っていう感じ。
でも、カナダは、一度家族とメンバーとして認められれば、
個人のバックグラウンドなんて基本的に関係なく、
あなた個人、
として受け入れられる、という気がします。
ボンに戻る前に、何泊かしたトロントで、面白い事に気がつきました。
トロントには、たくさんの日本人が住んでいて、
和食のレストランや、日本関係のお店でたくさんの日本人が働いています。
フランスでは、予約を電話でとるにも、
レストランでオーダーをするにも、
フランス語で話しだしても、何かのきっかけで、日本人だとわかると、
あ、日本の人ね、
って感じで日本語に切り替わるのを何度もみた事があります。
それがサービスでもあるのでしょうが、言語が切り替わった段階で、
ささっと、日本人というコミュニティ、日本人という枠のなかにいれてしまう、っていった感じ。
トロントだと、同じ日本人とわかっても、英語で話していると、そのまま相手も英語で話続けます。
コミュニケーションに問題がない限り、
日本語と英語、お好きな方で、という感じで会話が続く感じです。
それは、もちろん多くのアジア人、
日系の人で日本語得意でない方もいるから、
というのはあるでしょうが、
バックグラウンドがどうであれ、
今ここにいるあなたは、みたままのあなたであり、
私はそのままのあなたをうけいれるわ、
あなたの話したい言語でいいわよ、という受け入れ方。
英語が共通の言語となっているのは納得できますが、
それよりどちらかというと、
カナダではたくさんの人が、自分たちの意思で集まって国を作る、
というのが原点にあるからだと思います。
結婚、家族になる、という出来事も、同じプロセスをたどっているような気がします。
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